「大阪の人は、“ええかっこ”しないんですよ。シンプルでおいしいものが好き。ハーフロックってご存知ですか? この辺では昔からあるんですけど、要はロックに少し水を加えたもの。ロックって、ゆっくり飲むうちにだんだんに氷が溶けていい塩梅になりますが、ひと口めからちょうど一番おいしい状態で飲みたい! ということでハーフロック。合理的な大阪人らしいお酒かもしれませんね。あとは、ハイボールとか、ジントニックとかそういったスタンダードなものが、みなさんお好きですね」

と、北新地に店を構えるBar Leighのオーナー早川惠一さん。大阪らしいお酒とは? と質問したら、こんな風に答えてくれました。ではハイボールを、とお願いすると、背後に並ぶ棚からウイスキー「響 Japanese Harmony」のボトルを取り出してカウンターに置き、次に氷を包丁で削ります。お酒が水っぽくならないよう、溶けやすい周りの霜を落とすのだといいます。

当たり前のことを丁寧に。それが生み出す上品なおいしさ

「そして、少し氷が“泣く”のを待ちます」

氷が“泣く”というのは、表面が少し溶けて透明な状態のことを言うそう。その泣いた角柱の氷をタンブラーに入れ、ウイスキーを注ぎます。マドラーを軽く回し氷とウイスキーをなじませ、そこへ、静かに炭酸を……。

グラスには、氷がまるでないかのように透き通った琥珀色にほのかな泡。飲めばウイスキーの甘みや風味が口中に広がり、穏やかな炭酸の刺激とともに喉を流れます。強炭酸の刺激がもてはやされがちな巷のハイボールとはまるで違う飲み物で、上品なおいしさが印象的。

「特別なものは使ってないんですけど、よくそんなふうに言われます。ただ、やっぱりこういうシンプルな飲み物は、とにかく丁寧に作ることが大事」

その言葉に、名バーテンダーここにあり、と感じます。

北新地の歴史は日本の洋酒の歴史とともに

Bar Leighのある北新地は、わずか800メートル×300メートルの中に3000以上もの飲食店がぎゅっと詰まっています。そして、大人の夜の社交場として知られるように、食べる店も飲む店も一流店がずらり。

「バーの街といったら、東京・銀座が一番歴史が古いと思いますが、大阪のバー文化も長く深い歴史があります。特に、北新地はすぐ隣の堂島に昔からサントリーの本社があります。サントリーといえば日本の洋酒文化を牽引してきた会社ですから、北新地のバーは日本の洋酒の歴史とともにあるといっても過言ではないでしょう」

“おもろい”町でおいしい時間を味わう

そんな正統派の歴史を持ちながらも、「気どりなく親しみあるところ」が、北新地のバーらしさではないかと早川さんは言います。

「思い切ってドアを開けていただければ、心底楽しんでいただけると思います。ただ、そこにはバーの雰囲気というのがありますから、お客様もそれに委ねていただくことが必要かなとは思います。うちもそうですが、北新地のバーは小さな店が多いです。2人くらいでいらっしゃるのがちょうどよいのではないでしょうか。そして、北新地は大人の町、無謀な人はいません。飲みに出歩くには、本当に安全な町だと思いますね」

最後に、北新地とは? と訊ねると「おもろい町」と早川さん。

「この場合の『おもろい』というのは、楽しいとかfunnyとかそういう意味ではないんですね。大阪人の『おもろい』という言葉の表すニュアンスは幅広くて、『良い』とか『すごい』とかも意味します。だから、『北新地はおもろい』というのは、そういう意味なんです」

バーには町の個性が表れると言います。おもろい町のおもろいバーで、ぜひおいしいお酒と時間を味わってみてください。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。

明治時代初期(1870年代)には、すでに外国との貿易の拠点となっていた大阪や神戸。多くの外国人が行き交い、その文化を取り入れてきた関西は、コーヒー&喫茶店文化の発祥の地だと言われています。大阪では特にビジネスシーンにおける憩いの場、あるいはオフィス外の商談の場として喫茶店は愛されてきました。今もその数は日本一です(*)。

「でも、個人のお店は随分減ってしまって。このあたりもチェーン店がだいぶん増えましたね」

と話してくれたのは、1947年創業の喫茶店マヅラのオーナー劉盛森さんの三女で、同じビルにある喫茶店・バー King of Kings の支配人を務める劉由紀さんです。

「King of Kingsというのは、ウィスキーの名前です。父が日本の輸入代理店をしていたので、その名前からつけました。マヅラというのはインドネシアの島の名前。なぜこの名前なのか?……父が好きなんじゃないでしょうか(笑)」

大阪らしい喫茶店が残る大阪駅前ビル

今回おじゃまさせていただいたマヅラもその姉妹店であるKing of Kingsも、大阪駅や梅田駅から北新地方面に向かう途中にある「大阪駅前第1ビル」に入っています。駅前ビルはほかに「第2ビル」「第3ビル」「第4ビル」まであり、それらの地下は飲食店街になっていて、居酒屋やレストランなどのほかに喫茶店もいくつもあります。

昭和レトロな佇まいの店が多く、コーヒーはもちろんクリームソーダや大阪の“ソウルドリンク”であるミックスジュースなどの正統派な喫茶店メニューを掲げているのが特徴です(ちなみに、一般的にミックスジュースというと複数の果物の果汁を使ったフルーツジュースを意味するかもしれませんが、大阪ではミックスジュースはバナナやみかん、りんごやパイナップルなどの果物に牛乳と氷を加えてミキサーで混ぜ合わせた飲み物のこと)。

令和の若者を魅了する昭和レトロの記憶

「うちは1970年にこのビルが建った時から営業しています。ビルが建つ前は、この土地で喫茶店を営んでいました。1970年というのは大阪万博の年で、父は大阪万博にインスピレーションを受けて内装をこういうふうに、近未来っぽく作ったんですよ。前回の大阪万博の時は、アポロ12号が持ち帰った月の石が展示されたりして、宇宙開発展示が話題でしたから」

以来、劉さんが見つめてきた大阪駅前ビルの喫茶店を訪れる人たち。いつの時代も変わらず「思い思いに」喫茶店での時間を過ごしていると言います。

「最近は、こういう内装が『かわいい』とか『懐かしい感じ』とか言って、若い人もいらっしゃいますけれど、元々は通勤途中に立ち寄るお客さんがメインでしたね。ここができた1970年ごろは、まだそんな豊かではない時代だけど、希望はたくさんあった時代。会社勤めの人たちが、仕事帰りに『お茶して帰ろか』と仲間と喫茶店に寄られて、ちょっとした贅沢な時間を味わうわけです。そしてコーヒー1杯片手に、夢を語り合う。昭和の喫茶店はそういう場だったんですよ」

だから、「喫茶店のない街なんて」と、劉さん。

「喫茶店は今もなくてはならない場所だと思います。忙しい日々の中で、ちょっとしたゆとりを感じられる場所ですから」

今日も大阪駅前ビルの喫茶店には、サラリーマンから学生まで、多くの人が一息ついています。この街の雰囲気を感じてみるならば、コーヒーかミックスジュース片手に喫茶店で小一時間過ごしてみるのも良いのではないでしょうか。

* 平成28年度総務省センサス、8680店舗。第2位は愛知県7784店舗、第3位は東京6710店舗(人口千人当たりの店舗数だと高知県が1位で大阪は5位)

記事の内容は掲載日 (2020年11月) の時点の情報です。

お好み焼きやたこやき、うどんなど、大阪と言えば「粉もんグルメ」が有名ですが、その歴史やルーツについては意外に知らないもの。今回は、粉もんをもっとおいしく味わうために、粉もん文化が大阪でどのように花開いたか、紐解いてみましょう。

日本コナモン協会を訪ねて

今回、大阪の粉もん文化について教えてくれたのは、日本コナモン協会・会長、熊谷真菜さん。熊谷さんは大学時代、たこやきをテーマにした卒業論文を発表したのをきっかけに、本格的にたこやきの調査をスタート。1993年には初の研究書『たこやき』を刊行し、以降、数々の著書を出版されています。2003年には粉もん文化の普及と継承を目的とした日本コナモン協会を設立。現在は日本コナモン協会・会長のほか、食文化研究家、タコヤキスト、フードマーケティングデザイナーとして幅広く活動されています。

今でこそ「粉もん」という言葉は全国で普及していますが、実は定着してからまだ20年も経っておらず、熊谷さんはこの粉もんという言葉を世に広めた立役者と言われています。
「もともと粉物、捏ね物、という表現は、日本各地の粉どころでは日常的に使われていたようで、粉もんは『大阪ことば事典』にも掲載されていませんし、大阪弁ではないんですよ。“コナモン”って響きは何かのキャラみたいにも聞こえますし、インパクトもあるので、協会名にしたんですが、それ以降、メディアで協会や大阪の粉もんグルメが取り上げられる機会が増え、粉もんと言う言葉が一気に広まった印象です」

お好み焼きのルーツは千利休の菓子にあり!?

大阪の粉もんグルメと言えば、お好み焼き、たこやき、うどん、いか焼き、串カツが有名ですが、その主原料はすべて小麦粉(メリケン粉)。そのルーツについても熊谷さんにうかがってみました。

「日本では古代から小麦を粒のまま煎ったり炊いたりして食べていたようですが、それではおいしくないですよね。小麦を粉にして調理するようになったのは中国から石臼を使って小麦を粉にする製粉技術が伝わった奈良時代以降。日本麺文化のルーツと言われる三輪素麺が誕生したのも奈良時代と言われています」

そして「小麦粉を溶いて焼く」という調理法は、千利休が始めたものだとか。
「千利休が茶の席で供し、豊臣秀吉も食したという茶菓子、ふのやきです。これはお好み焼きのルーツのひとつであると言われています。私も京都の和菓子店の店主が再現して作ったふのやきをいただいたことがありますが、水で溶いた小麦粉を薄く伸ばして焼いたものに味噌が塗ってあり、抹茶によく合う味でした。その当時、ふんわり、もっちりとした食感の食べ物はほかにはなく、大発見だったと思いますよ」
とは言え、その頃には小麦粉は高価なもので、庶民が小麦粉を口にするようになったのは江戸時代以降だそう。
「江戸時代末期には水で溶いた小麦粉にいろんなものを混ぜて焼いて食べる習慣が広まり、明治時代には洋食店に憧れた庶民の間では、メリケン粉やキャベツ、ソースを使った「洋食焼」が人気になりました。1枚一銭で売られていた時代は「一銭洋食」として親しまれ、戦前には屋台も多く登場し、庶民の味として定着しました」

出汁と粉もんの文化の融合、大阪うどん

お好み焼きと並び、大阪粉もん文化を語る上で外せないのが、うどんです。大阪のうどんと言えば、昆布や節をしっかり感じる出汁が特徴的ですが、こちらもどういう歴史があるのでしょうか?
「江戸時代、天下の台所だった大阪には多くの食材が集まってきました。北前船で運ばれてくる真昆布は水につけておくだけでいい出汁が出て、大阪の軟水との相性が抜群だったんです。さらに、いりこや鯖節、煮干しとの相乗効果で、おいしいうどん出汁が完成し、かけうどんが広まっていきました。大阪人は、かけうどんで出汁と粉もんのマリアージュを知り、その後、お好み焼きやたこやきも出汁を効かせるようになったと思われます」

実は好相性なお好み焼きとワインのペアリング

大阪では、それぞれの家庭にお好み焼きの味があり、それが代々継承されていたり、専門店によっても配合や作り方、楽しみ方もさまざまです。
〈Zentis Osaka〉から徒歩5分、北新地にある〈tanpopo〉では、20年前からお好み焼きとワインのペアリングを推奨しています。お好み焼きのソースには、野菜や果物がたくさん含まれ、スパイスも使われていたり、ワインと合わないわけがありません。

「お好み焼きのソースがしっかりしているから、濃い目の赤が合うと思われがちなんですが、逆にどっちの味もぼやけてしまって。赤なら、ミディアムボディの果実味のあるタイプがおすすめです。スパークリングワインは万能ですし、白ワインもスッキリ軽めのものはお好み焼きに負けて物足りなく感じるかもしれませんが、それ以外はよく合います」と、オーナー、神谷圭介さん。

お好み焼き自体も、生地は少なく、キャベツが優勢で、蓋をしてじっくり蒸し焼きにすることで、キャベツの甘味を感じ、粉が少ない分、重たさもありません。
「北新地という場所柄、2軒目やワインバーとしての利用も多いので、お好み焼きをアテに飲めるよう、軽い食感に仕上げています」

大阪の粉もん文化を掘り下げると、大阪人の食へのこだわりや好奇心、創意工夫が見えてきます。さらに、板前割烹や回転寿司も大阪発祥であり、食事をおいしく楽しんでもらいたいと思う大阪人のサービス精神は脈々と受け継がれ、旅行者が訪れても親しみやすく、温かく受け入れてもらえます。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。