大阪で遊ぶとしたら、まず「キタ」にいくのか「ミナミ」にいくのか、というところから旅のプランは始まります。といっても、このエリア分けに明確な定義はないといいますから、少々ややこしいかもしれません。まずは、そのルーツをひも解きましょう。

街のルーツはキタもミナミも江戸時代

「ミナミ」は区で言えば中央区、駅でいうと難波駅や心斎橋駅周辺で、ネオンサインが眩しい道頓堀やレトロな風情を感じられる通天閣周辺など、ザ・大阪なイメージを堪能できる観光スポットがあります。その「ミナミ」のルーツは1615年に道頓堀の南側に芝居小屋が立ち並び、花街が誕生したことにあるそう。大阪の町人衆が集い作り上げた街が今にその気配を残し、大阪の賑やかさを象徴するエリアとなっているのです。
一方の「キタ」は区で言えば北区、駅だと梅田駅や北新地駅周辺のエリア。実は「ミナミ」の難波駅から「キタ」の梅田駅までは、地下鉄で1本10分足らずと、「キタ」と「ミナミ」は隣接したエリアです。「キタ」のルーツもやはり江戸時代に花街として賑わった地域であるという点で「ミナミ」と同じ。ただ、「ミナミ」には町人衆が集ったのに対し、こちらは中之島や堂島に各藩の屋敷が並んでいたこともあり、どちらかというと武家が遊ぶ街だったと言われています。その後には堂島に米市場が設けられ、裕福な米商たちの宴席としても、賑わいました。

大阪キタに大人の社交場・北新地あり

そんな成り立ちをこの街は記憶に残しているのか、今も「キタ」の中心的な繁華街である北新地といえば、高級歓楽街として知られています。バー、クラブ、小料理屋、和洋割烹などの飲食店約3000店舗が集まる北新地はいわば、財界人から芸能人やスポーツ選手までが集うサロン。情報交換をしたり親交を深めたりする接待の街として、昭和平成令和と時代を経て続いてきました。
だから若者にとっては少々敷居の高い街なのかもしれません。大阪で育った方曰く「年長者に北新地に連れて行ってもらうとなると、大人の世界を垣間見るような緊張と好奇心とが混ざり合う心持ちになったものです」とのこと。

今も変わらぬ北新地らしい夜を味わう

最近では、北新地にも値段も雰囲気もカジュアルな店が増えていて、かつてほど敷居の高い街ではなくなっているようです。とはいえ、ワイワイ楽しむならば大阪らしい賑やかさを味わえるミナミがあるわけですから、やっぱり北新地で夜を味わうのであれば、しっとりと落ち着いた気分で過ごしていただくのがおすすめです。
静かなバーや、カウンターだけの小さな小料理屋、あるいは老舗のスナックやクラブ。きっと大阪・北新地らしい時間を味わうことができるでしょう。

記事の内容は掲載日 (2020年11月) の時点の情報です。

仕事でも休暇でも、旅先でいい1日を始めるにはコツがいります。たとえばお気に入りの音楽で目覚めるとか、あるいはいつも通りにシャワーを浴びて着替えるとか、しっかりと朝食を食べるというのも大切です。
そんな旅先の1日を、ランニングで始めるのはいかがでしょうか。まだ街が本格的に動き出す前に街を走り、体を目覚めさせるとともに、天気や気温、動き始めようとしている街の匂い、音に刺激されてきっと感性も覚醒します。
大阪キタに位置するZentis Osakaを起点に走るなら、堂島川沿いに中之島を走るランニングコースがおすすめです。
「堂島川沿いを東へ向かうこのコースは、ビルと歴史的建築の対比や中之島の文化施設や庭園など大阪の文化的側面を感じながら走れるのが魅力です。また、中之島公園の花と緑を楽しんだり、水の都・大阪を実感できるので、ランニングをされる方は、ぜひ走ってみていただきたいですね」
と、Zentis Osaka総支配人。それでは、ランニングが趣味だという総支配人が、コースを紹介します。

歴史建築とビルの対比を愛でる

Zentis Osakaの玄関を出たら右へ。堂島川にかかる歩行者専用の橋〈中之島ガーデンブリッジ〉で、まずはストレッチを。

〈中之島ガーデンブリッジ〉から中之島へ渡り、走り始めましょう。「まずは日本銀行大阪支店の旧館や中之島図書館、大阪市中央公会堂など、中之島にある名建築を眺めながら走ります。また、名建築とともに楽しんでいただきたいのが、堂島川にかかる石造りの古い橋。特に図書館の向かいの〈水晶橋〉(写真TOP)はアーチの美しさが特徴です」

中之島公園の花と緑を楽しむ

さらに川沿いの遊歩道を走り進めると、遊歩道の両側に緑が増えてきます。「この右手の植栽の奥には、国宝や国の重要文化財を含む4000点以上の陶磁器のコレクションを展示している〈大阪市立東洋陶磁美術館〉があります」

〈中之島バラ園〉は、大阪市内最大のバラ園です。春と秋には各種約4000株のバラが見事に咲くそう。その芳香の中を走りぬけ、中之島の東端を目指しましょう。

中之島の西と東を結ぶ〈ばらぞの橋〉から振り返ると、煉瓦造りに青銅屋根の〈大阪中央公会堂〉が見えます。

水の都・大阪を体感する

中之島の東端。「中之島を挟むように流れている堂島川と土佐堀川が合流します。前方から陽が昇り、気持ちの良いスポットです」という〈中之島公園 剣先噴水〉。ここまでで1.5km、折り返して3km。朝散歩としても楽しめる気軽な距離です。

もう少し走りたいという方は、中之島から川を右岸に渡り、さらに東へ。〈天満橋〉から振り返ると、中之島の東端にかかる〈天神橋〉、そして遠くにZentis Osakaも見えます。ここまでで2km、折り返して4kmのコースは心身の良いリフレッシュになるのではないでしょうか。

大阪城まで足を延ばす

まだ走り足りない!という方は天満橋から坂を登って、〈大阪城〉を目指しましょう。「坂を登って谷町2丁目の角を曲がると、真っ正面に大阪城の天守閣が小さく見えて、よしあそこまで!と励まされます」。大阪城の大手門まで3.5km。折り返して7kmの本格朝ラン達成で、自信に満ちた1日を過ごせるはずです。

 

記事の内容は掲載日 (2020年11月) の時点の情報です。

「夜の社交場」と言われる北新地の西側に隣接する堂島。江戸時代に大阪繁栄の基礎を作った米問屋が開設されて以来、商業やビジネスの街として知られてきた町で、大正昭和初期のレトロビルが点在するのも魅力のエリアです。そんな築50年以上を経たリノベーションビルのひとつの2階に、ユニークな書店があります。その名も〈本は人生のおやつです!!〉。店主の坂上友紀さんは、この古いビルの雰囲気が気に入ってこの場所に決めたと言います。

「ここでお店をやるようになってから、地域の方々が道端のお地蔵さんをいつもきれいにしてはったり、盆踊りや節分などの行事をずっと大切に続けていたりと、堂島の知らなかった一面を発見して、ますます惹かれています」

店主が惚れ込んだ本を売る書店

店内には、古本と新刊書の両方がぎっしり。そこには、近代・現代文学を中心に、デザイン本、ここでしか手に入らないZINEなど、本好きがわざわざ訪れるというのも納得な、店主のセレクトが光ります。

「この棚は知る人ぞ知る近代作家の古書ですが、この辺のジャンルがお好きな方がいてるんですよ。あと、以前はこの辺りには広告代理店さんがあってデザイン事務所が多かったのでデザイン関係の本は結構多いかもしれませんね。新刊書については、私が惚れ込んで『絶版になるまでうちで売ろう』と決めているもので、売れたらまた同じものを仕入れて常時店頭にあるようにしています」

大阪滞在中、あるいはその前後に読みたい「大阪本3冊」

この書店の特徴はそのラインナップだけでなくもうひとつあります。それは、読書カウンセリングというサービス。客の好みや要望などを聞いて、坂上さんが本を選んでくれるというものです。

「気軽な『どんな本を読んだらいいですか?』という相談から、『自分で選ぶと偏ってしまうので、人に勧められる本を読んでみたい』と依頼されるお客様もいます」
中には、定期便(複数冊を一定の期間でお送りする)で読書カウンセリングを利用している人もいるそう。店主がオススメしてくれる本が、新しい興味の扉を開けてくれるのです。

そこで坂上さんに、Zentis Osakaに滞在する方におすすめの本を選んでもらいました。選書のポイントは、大阪を自分流に味わうヒントになるような、またインスピレーションを与えてくれるような本です。
「大阪が舞台であるだけでなく、空気感や“らしさ”を楽しんでもらえるものを選びました」

その1:関西出身の作家による昭和〜平成の大阪を舞台にした小説

まず1冊目は、関西出身の作家による女の一代記的な小説『グランドシャトー』(高殿円著/文藝春秋)。

「1960年代の高度成長期から平成を舞台にして、その時代を生き抜く女性の姿を描いているのですが、大阪人が読むといろいろ『分かる』のが面白い。例えばタイトルの『グランドシャトー』は主人公が働く大阪京橋のキャバレーの名前なのですが、実際に1文字違いの〈グランシャトー〉というキャバレー(写真背景)が京橋にあるのは大阪で育った40代以上の人はみんな知っています! 今も流れているそうですが、昔テレビでよくグランシャトーのCMが流れていたからなんです。また、主人公たちの暮らす町は北新地や堂島からも徒歩で行ける中崎町。昔ながらの長屋が今も残っているので、小説の世界を実際に歩いて味わっていただけると思います」(坂上さん)

その2:大阪人のユニークな視点に夢中になる写真冊子

2冊目は自費出版の写真冊子、『銭湯下足札コレクション1』(けんちん著)です。表紙は銭湯にある昔ながらの下駄箱の鍵の写真ですが、実はこれ、関東と関西で少しデザインが異なるのだそう。表紙の写真は関西のもので鍵の木札を右斜めから差し込むようになっていますが、一方関東は木札を真上から差し込むタイプが多いとのこと。そこに着目して大阪の銭湯の下駄箱の鍵を撮影して集めたのが、著者のけんちんさん。団地や銭湯をこよなく愛する大阪在住のサラリーマンで、全国の銭湯や団地をめぐる活動をしている方だそう。

「その独自の視点にファンが多くて、けんちんさんの冊子は店頭に並べると売り切れてしまうんです。こちらに掲載しているお風呂屋さんの多くが現在も営業中のようなので、これをガイドに銭湯巡りをするのも面白いかもしれません」(坂上さん)

その3:大阪人が愛する大阪の作家といえばこの人!

そして坂上さんが、「大阪を味わう本といったら、やっぱりオダサクは欠かせません!」と熱く紹介してくれたのが、大阪の人々や暮らしを生き生きと描いた昭和の無頼派作家、オダサクこと織田作之助の『夫婦善哉 決定版』(新潮文庫)。

「オダサクの描く大阪人や街は、大阪人が納得するありようなんです。うんうん、おるなぁこういう人、とうなずきながら読んでしまう。そういう普遍的な大阪人が描かれているのに加えて、大阪の食べ物がいろいろ登場するところも、まさに『味わう本』という点で魅力的です。主に大阪ミナミの店が多いですが、このすぐ近所にも、この本に収録されている短編『アド・バルーン』に出てくる〈出入橋きんつば屋〉という甘味処(写真背景)が今もありますので、ぜひ寄ってみてください」(坂上さん)

 

これらの本は、Zentis Osaka 2階のRoom 001に置いてあります。ぜひ手にとって楽しんでください。

記事の内容は掲載日 (2020年11月) の時点の情報です。

お好み焼きやたこやき、うどんなど、大阪と言えば「粉もんグルメ」が有名ですが、その歴史やルーツについては意外に知らないもの。今回は、粉もんをもっとおいしく味わうために、粉もん文化が大阪でどのように花開いたか、紐解いてみましょう。

日本コナモン協会を訪ねて

今回、大阪の粉もん文化について教えてくれたのは、日本コナモン協会・会長、熊谷真菜さん。熊谷さんは大学時代、たこやきをテーマにした卒業論文を発表したのをきっかけに、本格的にたこやきの調査をスタート。1993年には初の研究書『たこやき』を刊行し、以降、数々の著書を出版されています。2003年には粉もん文化の普及と継承を目的とした日本コナモン協会を設立。現在は日本コナモン協会・会長のほか、食文化研究家、タコヤキスト、フードマーケティングデザイナーとして幅広く活動されています。

今でこそ「粉もん」という言葉は全国で普及していますが、実は定着してからまだ20年も経っておらず、熊谷さんはこの粉もんという言葉を世に広めた立役者と言われています。
「もともと粉物、捏ね物、という表現は、日本各地の粉どころでは日常的に使われていたようで、粉もんは『大阪ことば事典』にも掲載されていませんし、大阪弁ではないんですよ。“コナモン”って響きは何かのキャラみたいにも聞こえますし、インパクトもあるので、協会名にしたんですが、それ以降、メディアで協会や大阪の粉もんグルメが取り上げられる機会が増え、粉もんと言う言葉が一気に広まった印象です」

お好み焼きのルーツは千利休の菓子にあり!?

大阪の粉もんグルメと言えば、お好み焼き、たこやき、うどん、いか焼き、串カツが有名ですが、その主原料はすべて小麦粉(メリケン粉)。そのルーツについても熊谷さんにうかがってみました。

「日本では古代から小麦を粒のまま煎ったり炊いたりして食べていたようですが、それではおいしくないですよね。小麦を粉にして調理するようになったのは中国から石臼を使って小麦を粉にする製粉技術が伝わった奈良時代以降。日本麺文化のルーツと言われる三輪素麺が誕生したのも奈良時代と言われています」

そして「小麦粉を溶いて焼く」という調理法は、千利休が始めたものだとか。
「千利休が茶の席で供し、豊臣秀吉も食したという茶菓子、ふのやきです。これはお好み焼きのルーツのひとつであると言われています。私も京都の和菓子店の店主が再現して作ったふのやきをいただいたことがありますが、水で溶いた小麦粉を薄く伸ばして焼いたものに味噌が塗ってあり、抹茶によく合う味でした。その当時、ふんわり、もっちりとした食感の食べ物はほかにはなく、大発見だったと思いますよ」
とは言え、その頃には小麦粉は高価なもので、庶民が小麦粉を口にするようになったのは江戸時代以降だそう。
「江戸時代末期には水で溶いた小麦粉にいろんなものを混ぜて焼いて食べる習慣が広まり、明治時代には洋食店に憧れた庶民の間では、メリケン粉やキャベツ、ソースを使った「洋食焼」が人気になりました。1枚一銭で売られていた時代は「一銭洋食」として親しまれ、戦前には屋台も多く登場し、庶民の味として定着しました」

出汁と粉もんの文化の融合、大阪うどん

お好み焼きと並び、大阪粉もん文化を語る上で外せないのが、うどんです。大阪のうどんと言えば、昆布や節をしっかり感じる出汁が特徴的ですが、こちらもどういう歴史があるのでしょうか?
「江戸時代、天下の台所だった大阪には多くの食材が集まってきました。北前船で運ばれてくる真昆布は水につけておくだけでいい出汁が出て、大阪の軟水との相性が抜群だったんです。さらに、いりこや鯖節、煮干しとの相乗効果で、おいしいうどん出汁が完成し、かけうどんが広まっていきました。大阪人は、かけうどんで出汁と粉もんのマリアージュを知り、その後、お好み焼きやたこやきも出汁を効かせるようになったと思われます」

実は好相性なお好み焼きとワインのペアリング

大阪では、それぞれの家庭にお好み焼きの味があり、それが代々継承されていたり、専門店によっても配合や作り方、楽しみ方もさまざまです。
〈Zentis Osaka〉から徒歩5分、北新地にある〈tanpopo〉では、20年前からお好み焼きとワインのペアリングを推奨しています。お好み焼きのソースには、野菜や果物がたくさん含まれ、スパイスも使われていたり、ワインと合わないわけがありません。

「お好み焼きのソースがしっかりしているから、濃い目の赤が合うと思われがちなんですが、逆にどっちの味もぼやけてしまって。赤なら、ミディアムボディの果実味のあるタイプがおすすめです。スパークリングワインは万能ですし、白ワインもスッキリ軽めのものはお好み焼きに負けて物足りなく感じるかもしれませんが、それ以外はよく合います」と、オーナー、神谷圭介さん。

お好み焼き自体も、生地は少なく、キャベツが優勢で、蓋をしてじっくり蒸し焼きにすることで、キャベツの甘味を感じ、粉が少ない分、重たさもありません。
「北新地という場所柄、2軒目やワインバーとしての利用も多いので、お好み焼きをアテに飲めるよう、軽い食感に仕上げています」

大阪の粉もん文化を掘り下げると、大阪人の食へのこだわりや好奇心、創意工夫が見えてきます。さらに、板前割烹や回転寿司も大阪発祥であり、食事をおいしく楽しんでもらいたいと思う大阪人のサービス精神は脈々と受け継がれ、旅行者が訪れても親しみやすく、温かく受け入れてもらえます。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。

Zentis Osakaでは、上質で快適なホテルステイを提供するため、インテリアやファブリック、アメニティなど、ゲストが触れるものすべてに対してこだわりを持ってセレクトしています。

そのこだわりのひとつが、 多目的ルーム「Room 001」のセルフランドリーで採用している洗濯洗剤。これを作っているのは、大阪の老舗石けんメーカー 木村石鹸です。今回は、ホテルから車で北東に30分ほどの大阪府八尾市にある木村石鹸の工場を訪ね、昔ながらの製法による石けんの製造現場を見せていただきました。

大正13年以来「釜焚き」で石けんを製造

ひと口に石けんと言っても、その種類はさまざまです。一般的には、身体や顔を洗う洗浄剤を思い浮かべる人が多いと思いますが、掃除用や洗濯用、台所用の洗浄剤にも石けんにカテゴライズできるものがあります。
洗浄剤には石けんと合成洗剤があり、合成洗剤は、石油や植物を原料として化学合成された合成界面活性剤で作った洗剤のことです。そして、もう一方の石けんは、天然の油脂・脂肪酸とアルカリを反応させて作られています。

木村石鹸は、工場や銭湯で使う業務用の洗浄洗剤や、掃除用・洗濯用の家庭向け洗浄剤を主に製造している会社で、製造されている洗剤はすべて自社で作る純石けん成分をベースに製造されています。しかも大正13年創業以来、職人の手作業による「釜焚き」製法によって石けん製造を行う、日本国内でも希少な会社です。

職人の長年の勘と経験が頼りに

釜焚き石けんには、粉末商品に使う粉末石けんと液体商品に使う液体石けんの2種類があります。今回は、Zentis OsakaのRoom 001のランドリーで使用している洗濯用液体石けんの基となる、液体石けんの釜焚き工程を見学することに。

木村石鹸の液体石けんは、天然油脂であるヤシ油と苛性(かせい)カリをかく拌しながら加熱し、鹸化反応させることによって作られます。

まずは釜の中に水を溜め、苛性カリを投入した後、食用のヤシ油を加え、焚いていきます。

最初はサラサラだった釜のなかの液体が、鹸化が始まると、もこもこと泡だってきます。温度が上がりすぎないよう釜の温度を調節したり、泡が増えすぎないよう表面に扇風機を当てたり、1人の職人が朝8時半から午後3時半まで、付きっきりで見守っていきます。

鹸化の具合は、気候や気温、湿度など様々な状況によって微妙な変化があるため、職人の五感がフル稼働されます。チョコレートの原料にもなる食用ヤシ油を使っているため、アルカリの強弱は舐めて確認し、調節することもあるそう。

焚き終えるタイミングも職人の目で判断します。火入れを止めて1時間後には泡がなくなり、その後、じっくり1日かけて冷ましていきます。

人・モノ・環境に優しい石けん

石けんは生分解性が高く、環境負担が低いと言われていますが、洗濯石けんの場合、脱脂力が穏やかなので、衣類がごわつかず、ふんわり仕上がるのも魅力。さらに、繊維への洗剤の残留がほとんどなく、赤ちゃんや肌が弱い方にも安心して使えます。

木村石鹸では、2015年から、純石けんと天然素材で作るボディケア・ハウスケアシリーズ「SOMALI(ソマリ)」を展開。Room 001のランドリーの洗濯乾燥機は洗剤の自動投入機能が付いているため、SOMALIの洗濯用液体石けんと衣類のリンス剤を自動投入でも溶けやすいようにさらに手を加えた、Zentis Osakaオリジナル洗剤になっています。

ご宿泊の際には、ふっくら柔らかい洗い上がりをぜひ、体感してみてください。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。

文楽や歌舞伎など、大阪には、さまざまな伝統芸能が息づいています。なかでも上方落語は、楽しく笑って、上方言葉や文化を学ぶことができる、肩ひじ張らない伝統芸能です。そして、そのメッカが天満天神繁昌亭。こちらで寄席を実際に体験しながら、上方落語の魅力をひもときます。

上方落語唯一の定席へ

そもそもこの天満天神繁昌亭できたのは15年前と、意外に歴史が浅いことに驚きます。こちらが開館する以前にも、吉本や松竹の舞台、そして米朝事務所のホール落語会はありましたが、いつでも落語が聞ける定席はありませんでした。そこで、上方落語協会が戦後60年ぶりの復活を目指し、奔走。2006年、大阪天満宮から用地を提供してもらい、北鳥居のすぐ近くに寄席を構えることになりました。
奇しくも、この辺りはかつて「天満八軒」と呼ばれ、寄席や芝居小屋がひしめいていて、そのうちのひとつ「第二文芸館」という小屋は吉本興業の発祥地だったそうです。

上方と江戸の落語には違いあり

まずは大阪・京都を中心とする「上方」で演じられる上方落語と、東京を中心に上演される「江戸落語」の違いについて、上方落語協会会長、笑福亭仁智さんに教えてもらいました。
「上方落語と江戸落語はそもそも起源が違うんです。どちらも江戸中期に始まったのですが、江戸がお座敷に呼んでもらって披露するお座敷芸なのに対して、上方は、生国魂神社の境内で繰り広げた話芸が始まりで、通りすがりのお客さんをつかまえて話をしてお金をもらっていたんです。ですから発祥当時は、江戸落語のお客さんは男性がほとんどでしたが、上方落語は老若男女もいたわけです。内容も、江戸落語は武士をヒーローにした勧善懲悪なストーリーが多いのに対して、上方は、世話物が主流でした。そのため、親しみやすく、初心者の方にもとっつきやすいと思います」
そのほか、上方と江戸では演出や道具にも違いがあり、上方落語では見台という小机や小拍子が使われ、噺の最中に三味線や笛、太鼓が入ることがあります。
「小拍子を見台にカチンッと打ち鳴らすことで、動きや仕草を強調したり、場面転換を印象づけたり、はたまた寝ているお客さんを起こすのにも役立ちます」と、ニッコリ笑う仁智さん。
天満天神繁昌亭は昼席と夜席があり、昼席は若手からベテランまで週替わりで、1日8本公演に。そして、夜席は独演会や一門会など、落語家が主宰となる会が行われることが多いそう。
「昼席は落語の入門編みたいな演目が多く、雰囲気も気楽だし、落語を初めて鑑賞する方におすすめです。そして落語を聴くうちに気に入った落語家ができたり、聴いてみたい演目がでてきたら、夜席にも足を運んでみてください」

いよいよ昼席を鑑賞

訪れた日の前座 (トップバッター) は桂小梅さん。「えげつないな」「あきまへん」「そんなあほな」など、当たり前ですが大阪が舞台のネタなので、大阪弁のオンパレード。今では地元の人でもあまり使わなくなった上方言葉も飛び出し、その軽快さが楽しく、公演後、ちょっとマネしたい衝動にかられたほどです (本当に真似して使うと大阪人に嫌がられるのでご注意を)。
二ツ目、桂小鯛さんの演目は初心者でも知ってる古典落語の名作、時うどん。これは江戸では時そばと言われるもので、演目名の違いだけでなく、ストーリーも少し違うそう。

公演中、人前で声をあげて笑うことになれてないと意外に笑えないものだと気づかされます。斜め前の寄席に通い慣れていそうな年配の男性は、いいタイミングで絶妙な笑い声をあげていて、さすがと思わずにはいられません。
「大阪人はお金を払った分、笑う気満々で聴いてくれます。お客さんの笑いが大きいと落語家も乗ってきますし、寄席は、お客さんと落語家が同じ時間を共有して作り上げるものなんです」(仁智さん)
そのため、その日の寄席の雰囲気を見てからネタを決めることも多く、パンフレットにも出演者の名前はありますが、演目名の記載はありません。

「寄席に来たら身を任せ、想像力をたくましく、楽しんでください」という仁智さんの言葉通り、聴く側も想像力を膨らませるほどに引き込まれます。
訪れた週のトリは、偶然にも仁智さんであり、仁智さんの笑いを交えた巧みな情景描写に聴き入っていると、頭の中に映像がどんどん浮かんでくるほどでした。

昼席公演は全8本。そのなかには色物とよばれる落語以外の芸が必ず2つ入るそうで、訪れた週は漫才とコマ回しが披露されました。
始まる前は正直「ちょっと長いな」と思っていましたが、いざ始まるとあっというまの2時間半。
落語を鑑賞してから、その噺の舞台となった大阪の街を巡るのも、楽しいかもしれません。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。

梅田からは地下鉄でひと駅。北新地から歩いても20分ほどでたどり着く中崎町。繁華街に隣接した町ながら、戦前の木造建築や長屋が残る下町情緒あふれ、古民家を改装したカフェやショップも多く建ち並びます。今や大阪を代表する若者に人気のエリアは、旅行者が歩いても存分に楽しめる町。今回はこの古くて新しい中崎町を紹介します。

戦火を逃れた昭和レトロな町

中崎町は、第二次世界大戦末期の大阪大空襲の戦火を奇跡的に逃れたため、大正や昭和初期に建てられた木造住宅や長屋が残っています。
ノスタルジックな街並みの後ろには高層ビルやマンションがそびえ立ち、まるで都会の中でここだけが時代に取り残されたような昭和感が味わえます。
また、戦後に土地の区画整理も行われなかったため、狭く入り組んだ路地が今なお多く、路地の先になにがあるのか、まるで迷路のように町歩きが楽しめます。

個性豊かな店に出会える

下町と呼ばれる地域は、住民の高齢化が問題になりがちですが、中崎町も同様に一時は住民の高齢化が進み、空き家が目立つようになっていました。しかし2000年前後から、ノスタルジックな街並みやキタエリアにしては家賃が手頃なことに目をつけたクリエーターや若き店主がショップやカフェ、ギャラリーを開き、息を吹き返すように。さらに古民家や長屋を再生した店ができることで、訪れる人も増え、町自体が活気にあふれるようになりました。

例えば、中崎町駅前から東にのびる天五中崎通り商店街は、以前は昔ながらの商店が並ぶ地元ユースな商店街でしたが、現在は、行列のできるさつまいもスイーツ店やかき氷屋さんなどが並び、賑わいをみせています。

さらに、JR京都線の高架下は再開発され、カフェやバルなど、飲食店が軒を連ねています。また、この界隈は古着屋さんが点在し、個性的なおしゃれに身を包む若者も多く見られます。

町の縮図と言うべき喫茶店へ

この町のことをさらに知るため、中崎町で約40年続く喫茶店 ニューMASAの店主に話をうかがいました。
実は現在の店主は4代目。2011年に喫茶 正を常連だった2代目が引き継ぎ、ニューMASAとしてリニューアル。以来、2019年に3代目、2020年に現店主である古家慶子さんへとバトンが渡されました。

「自分の店をしたいと思っていたタイミングでご縁があって4代目店主になりました。店には初代マスターの頃から通っている80歳をこえる方もいらっしゃって、私よりこの街のこともこの店のことも詳しいんです」と、古家さん。
中崎町は下町風情があり、元々好きな場所だったそうですが、店を始めてさらに下町の優しさを感じているそう。
「コロナ禍以前、中崎町には、外国人ツーリストや日本人観光客も多く訪れていて、店にもそういう方々がたくさん来てくださっていたそうです。でも私が店主になった昨年4月はコロナ禍真っ只中で、お客さんがぐんっと減って。そんな時、ご近所さんが『大丈夫?』『しっかりしいや』ってちょくちょく顔を出してくださって、それがすごい支えになりました」

受け継がれて続いていく中崎町らしさ

古家さんが店を引き継ぐ際、条件が2つだけあったそうで、1つは昭和の喫茶店のような店の雰囲気を壊さず、守ること。そしてもう1つは初代から出しているコーヒー豆でコーヒーを淹れることだったそう。
「2つの条件以外は好きにしていいって言われて、私の代になって、オムライスやナポリタンを出すようになったり、メニューはいろいろ変わっています。私もいずれ店を離れる時はこの町や店の雰囲気をわかってくれる方に受け継いでもらおうと思っています」

店内は、40年近く通うご近所さんもいれば、奇抜な髪とファッションの今ドキ男子もいたり、そのカオス感はまさにこの町そのものと言った風。
最近は、大手資本の店が参入してきたり、ハヤリや映えを狙った店も増えてはいますが、それでもなおこの町には、この町が好きでこの町らしさを大事にする店主とそれを見守る住人がいます。
そんな”共存共栄”感こそがこの町の魅力なのかもしれません。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。

「大阪の人は、“ええかっこ”しないんですよ。シンプルでおいしいものが好き。ハーフロックってご存知ですか? この辺では昔からあるんですけど、要はロックに少し水を加えたもの。ロックって、ゆっくり飲むうちにだんだんに氷が溶けていい塩梅になりますが、ひと口めからちょうど一番おいしい状態で飲みたい! ということでハーフロック。合理的な大阪人らしいお酒かもしれませんね。あとは、ハイボールとか、ジントニックとかそういったスタンダードなものが、みなさんお好きですね」

と、北新地に店を構えるBar Leighのオーナー早川惠一さん。大阪らしいお酒とは? と質問したら、こんな風に答えてくれました。ではハイボールを、とお願いすると、背後に並ぶ棚からウイスキー「響 Japanese Harmony」のボトルを取り出してカウンターに置き、次に氷を包丁で削ります。お酒が水っぽくならないよう、溶けやすい周りの霜を落とすのだといいます。

当たり前のことを丁寧に。それが生み出す上品なおいしさ

「そして、少し氷が“泣く”のを待ちます」

氷が“泣く”というのは、表面が少し溶けて透明な状態のことを言うそう。その泣いた角柱の氷をタンブラーに入れ、ウイスキーを注ぎます。マドラーを軽く回し氷とウイスキーをなじませ、そこへ、静かに炭酸を……。

グラスには、氷がまるでないかのように透き通った琥珀色にほのかな泡。飲めばウイスキーの甘みや風味が口中に広がり、穏やかな炭酸の刺激とともに喉を流れます。強炭酸の刺激がもてはやされがちな巷のハイボールとはまるで違う飲み物で、上品なおいしさが印象的。

「特別なものは使ってないんですけど、よくそんなふうに言われます。ただ、やっぱりこういうシンプルな飲み物は、とにかく丁寧に作ることが大事」

その言葉に、名バーテンダーここにあり、と感じます。

北新地の歴史は日本の洋酒の歴史とともに

Bar Leighのある北新地は、わずか800メートル×300メートルの中に3000以上もの飲食店がぎゅっと詰まっています。そして、大人の夜の社交場として知られるように、食べる店も飲む店も一流店がずらり。

「バーの街といったら、東京・銀座が一番歴史が古いと思いますが、大阪のバー文化も長く深い歴史があります。特に、北新地はすぐ隣の堂島に昔からサントリーの本社があります。サントリーといえば日本の洋酒文化を牽引してきた会社ですから、北新地のバーは日本の洋酒の歴史とともにあるといっても過言ではないでしょう」

“おもろい”町でおいしい時間を味わう

そんな正統派の歴史を持ちながらも、「気どりなく親しみあるところ」が、北新地のバーらしさではないかと早川さんは言います。

「思い切ってドアを開けていただければ、心底楽しんでいただけると思います。ただ、そこにはバーの雰囲気というのがありますから、お客様もそれに委ねていただくことが必要かなとは思います。うちもそうですが、北新地のバーは小さな店が多いです。2人くらいでいらっしゃるのがちょうどよいのではないでしょうか。そして、北新地は大人の町、無謀な人はいません。飲みに出歩くには、本当に安全な町だと思いますね」

最後に、北新地とは? と訊ねると「おもろい町」と早川さん。

「この場合の『おもろい』というのは、楽しいとかfunnyとかそういう意味ではないんですね。大阪人の『おもろい』という言葉の表すニュアンスは幅広くて、『良い』とか『すごい』とかも意味します。だから、『北新地はおもろい』というのは、そういう意味なんです」

バーには町の個性が表れると言います。おもろい町のおもろいバーで、ぜひおいしいお酒と時間を味わってみてください。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。

北新地にあるZentis Osakaから堂島川を渡った先の中之島は、明治大正時代から、行政と経済、そして文化施設が集まるエリアとして発展してきました。そのため、1903年竣工の日本銀行大阪支店旧館や1918年竣工の大阪市中央公会堂など、近代日本建築を代表する名建築が今も残っています。なかでも、ギリシア神殿を思わせる円柱に大きな三角破風が特徴の威風堂々とした佇まいが際立つのは〈中之島図書館〉です。

入り口の上には、開館当時の名称「大阪図書館」の文字が掲げられています。この図書館は、近代大阪で財を成し日本を代表する財閥となった住友家が建築し大阪府に寄贈したもので、1904年に開館しました。古文書や地域資料を所蔵するだけでなく、近年はビジネス向けの情報提供も行うなど、市民に向けたさまざまな活用を展開しています。

中に入るとこの建物の特徴であるドームの下に吹き抜けのホールが広がります。外観の荘厳な石造りに対して、この木製の階段の描く優美な曲線が印象的です。

左右に広がる建物の両翼の部分は、閲覧室やカフェになっていて、100年の時を経て今もなお広く市民の文化施設として活用されています。

そして2020年7月に、この中之島にもうひとつ本を所蔵する名建築が誕生しました。〈こども本の森 中之島〉です。こちらはその名のとおり、子どもたちに本との出会いや本を通じた興味関心との出会いを届ける文化施設で、開放的な吹き抜けの3階建ての館内には独自の12のテーマにそった1万8千冊の本を所蔵しています。

この建物の特徴は、コンクリート造りの建物のフォルムにも中の書棚にも、ゆるやかな曲線が多く用いられていること。これは、外を流れる川の流れをイメージしたものだと言います。また、書棚と書棚の隙間には外が見える細長いスペースがあったり、頭をぶつけそうな階段下に絵本コーナーがあったりと、遊び心がたっぷり詰まった空間になっているのです。

この施設を設計したのは、大阪出身の建築家・安藤忠雄さん。「子どもたちの感性と想像力を育む場」として設計し、大阪市に寄付した図書施設です。

安藤さんのお気に入りだというスペースが、小さな円筒状のコンクリートの部屋。高い天井の丸い穴から光が差し込み、まるで高い塔の中にいるような気分になります。この空間には本も何もありませんが、妙に心が落ち着きます。そして時折、美しいプロジェクションマッピングで『星の王子様』(サン=テグジュペリ)や『魔女の宅急便』(角野栄子)など、名作のワンシーンが紹介され、物語の世界を創造する楽しさを味わうことができます。

〈中之島図書館〉と〈こども本の森 中之島〉。それぞれまったく違う目的や歴史を有する建築ではありますが、そのなかに物語や知性を抱く市民のための建築であるという点は同じ。それぞれの魅力を確かめに、ぜひ足を運んでみてください。

記事の内容は掲載日 (2021年10月) の時点の情報です。